実写版『鋼の錬金術師』は確かにハガレンで心が無になる作品

映画ノベライズ「鋼の錬金術師」 (小説)


製作発表時から論議の的となっていた実写版『鋼の錬金術師』が遂に公開された。
遺恨を生む漫画の実写版。結論から言うと本作は確かに『鋼の錬金術師』だった。

これはハガレンだった

物語はリオールの街から始まる。原作第1話を踏襲した流れだが原作通りに進むわけではない。肉体を取り戻すために賢者の石を探し求める27巻に及ぶ原作の要所を抜き出して大胆にアレンジしている。
原作では終盤で描かれた要素が登場する。かなり思い切っている。

あまりの大胆さだが物語に関しては飛び抜けた点もなく、そつのない仕上がりだ。いたって普通にまとめ上げており特に驚きはない。

さて、原作は産業革命時のヨーロッパをモチーフとしている。故にキャラクターは白人と黒人がメインである。そんな作品を日本で実写化するという無理難題。キャラクターは全員日本人が演じている。

違和感しかない。予告が公開されるとより不安が募る…。
だが本編を見ているとこれが意外にも頑張っているのだ。

山田涼介は原作のエドっぽい言動をしっかりと再現しようと努力している。実際に所々エドとダブって見えるほどに寄添ってくれている。
ウィンリィを演じる本田翼も原作らしい快活さをそのままにどこか脆さを抱える難しいキャラを中々上手く演じており、確かにウィンリィだと感じさせる。
ホムンクルス一派に関してもヴィジュアルも原作に寄せており見ごたえがある。特にラストの妖艶さは原作そのままといってもいいほどだ。

キャラクターのはヴィジュアル、言動、内面共に原作を再現しようとかなり努力しており、それは功を奏しているように見える。日本人が演じているのに確かに彼ら彼女らは原作のキャラクターになっていた。

そしてハガレンらしい友情や絆といった要素はそのまま据え置いており、原作への敬意が強く感じられる。
命の大切さというハガレンを構成する根幹ともいえる要素は希薄ではあるものの、それも忘れずに盛り込んでいる。

これは確かにハガレンだった。
キャラクター、世界観に作品の根幹…。ハガレンらしさを損なうことなく再現しようとしている。

これほどまでに原作へのリスペクトを感じさせるのになぜか満足でない。それどころかただただ虚無感に襲われてしまう。

心が鎮まる普通さ

これは紛うことなき『鋼の錬金術師』だ。
だがしかし、物語が進むごとに心は静まり返ってゆく。

しっかりとハガレンを再現している。しかしなぜか成功だと喜べないのだ。
ヴィジュアルのせいだろうか。いや、ヴィジュアルも頑張っている。

あまりにも普通すぎる。可もなく不可もなし。
至って平凡な映画作品になってしまっている。突き抜けた要素も皆無で、心が滾ることもない。逆に嫌悪させられる要素も皆無で激怒することも叶わない。
普通なのだ。とんでもなく普通の映画作品なのだ。

だからこそ虚無感に襲われる。
原作のように心に残る要素も無くなっている。
もうどうにもならないほどだ。

駄作なら駄作で突き抜けてほしかったと思うほどに、普通すぎた。心が静まり返る。

何度も言うがこれは確かにハガレンだ。しかし映画としてはあまりにも普通で成功とも言い難い。割り切って鑑賞することも難しくなっていて、本当に心が無になる。

ネタとして鑑賞することすら叶わない。そして実写化の成功例としても扱いにくい。
非常に扱いにくい作品だ。原作ファンは本当に心が無になること間違いなしだ。

これはなんなのだろうか。向き合うことが辛く悲しい。難しい作品だ。